PLANT COLLECTING
植物採集をするように、世界をくみとって。
2013年12月9日月曜日
2012年8月8日水曜日
photodrawing [写真で描く]
撮影はいつも散歩の延長にある。
いつも通る道、はじめての地、そこでは、光や風の発見、驚き、
細やかな光を意識し、出合い、向き合う。もし、この時間が写真の
すべてであるというならば、すてきな風景に出合えばよいだけである。
しかし、写真として仕上がったものを見た時、違う意識が芽生える。
写真の中でしか見られない景色。撮影時に意識できなかったものが、
写真の中にあらわれてくる。
そのささやかな景色を切り取り、描くように紙の上へ配置する。
紙の余白と切り取られた写真は、そこに定着した表情をあらためて意識させる。
写真とは印画紙へ定着した光である。
目では意識できなかったその写真を作品にする。
photodrawing
2011
C-print ,typewriting paper
210×210 mm
2011年6月22日水曜日
2011年2月16日水曜日
2011年1月10日月曜日
夜と音
2010年10月14日木曜日
2010年10月3日日曜日
2010年9月30日木曜日
自然に還りたい
いつからか、そう思うようになった。果たして、どう還ったら良いのかはまだ分からない。
決まって目覚めると空を確認する。まぶしい、雨かぁ、曇ってる、青い空、、
外を歩いて、草木や鳥たち、甕のなかの金魚たち、みんなに日本語であいさつをする。
そう昔からみんな仲間だと思っている。金魚たちを「あいつら」と呼んだり、カラスを見つけると「一人おった!」と母親に伝えたり、よく「一匹(羽)でしょ」とおこられた。
でもしっくりこない、一緒にいられると思うのに。
シャッターを切る私にある人がこういった、
『今のシャッター音で、自然の光や粒子や何かをカメラを通して受けとっていた』
自然に放置された身体からじっと見つめると、向こうが今だと話しかけてくる、そこでシャッターを切る。その瞬間は、自然に立ち向かうわけでもなく、ただ手を広げて待っている。そうすると光たちを手にしている気がした。
既に自分は自然の中にいる。そこからどうやって還るのか、まだ自分は囲まれているだけだ。
手を広げても、カメラで入り込もうとしても、まだ一緒になれない。
決まって目覚めると空を確認する。まぶしい、雨かぁ、曇ってる、青い空、、
外を歩いて、草木や鳥たち、甕のなかの金魚たち、みんなに日本語であいさつをする。
そう昔からみんな仲間だと思っている。金魚たちを「あいつら」と呼んだり、カラスを見つけると「一人おった!」と母親に伝えたり、よく「一匹(羽)でしょ」とおこられた。
でもしっくりこない、一緒にいられると思うのに。
シャッターを切る私にある人がこういった、
『今のシャッター音で、自然の光や粒子や何かをカメラを通して受けとっていた』
自然に放置された身体からじっと見つめると、向こうが今だと話しかけてくる、そこでシャッターを切る。その瞬間は、自然に立ち向かうわけでもなく、ただ手を広げて待っている。そうすると光たちを手にしている気がした。
既に自分は自然の中にいる。そこからどうやって還るのか、まだ自分は囲まれているだけだ。
手を広げても、カメラで入り込もうとしても、まだ一緒になれない。
登録:
投稿 (Atom)